Sunday, 26 August 2012

持續飛行2012

話説從臺灣回來之後,年底前我至少會再飛三次。繼續亢奮期待中。有史以來首次出外公幹學習、登陸東馬婆儸州、單人彳亍印尼萬隆。夾雜之中的十月份也有不怎麽讓人期待的重考,倒數40天了真令人納悶啊。

五月的
”大忙”,后五月的我持續在翻滾中。
六月的西貢·檳嶼·日檢N4;七月的Bunka卒業·長頸畢業·口琴MLG·婚禮·品酒;八月的寶島·趕工

上篇提到的實習生已經新學期開學,課中也即將有課長升遷同事放產假而瀕臨缺少人手的情況。公事上逐漸上手的我開始恢復稜角型的奈九米二。和事業駛平行綫的礙眼考試,有時真的會讓人覺得自卑啊。

其中還有令人咋舌錯愕的狀況,爾後的尷尬讓人惋惜啊。

接下來,看圖説故事:



臺北車站

日月潭
原住民舞蹈
海軍大將です

彩虹眷村
抛四方帽
日曜日1715hrs Inter4
亞倫表哥結婚
Make Life Great @AWWA
精算部同事
You are here! @ Straits Heritage
With the famous bicycling siblings
My favourite of the whole trip
再訪西貢
鏡子合照
黃月英

Thursday, 17 May 2012

記錄一下

部門來了兩位實習生,課長讓我把手上的工作安排一些給他們。過程中,再次確認我是喜歡coaching的。把你會的教人,對方雙倍奉還(聼懂然後應用再go extra mile)的感覺真爽。

Kiasuland一直在要我加入他們一起kiasu。電郵邀請出席“了解本地文化”、“參觀軍事博物館”活動,還有信件以限量易通卡來利誘我回復有關當公民意願的調查。我是誰啊。

房間開始小亂。工作很忙、(感覺)剛考完事、懶惰。

發現非常道地的日本拉麵舘。日式裝潢、日籍零英語員工、日本式小空間利用、任拿溫泉蛋,拉麵也很貼心的穿插了黑辣(黑胡椒)和紅辣(紅辣椒)迎合本地口味。只差日本空氣的味道罷了。Ok 是我太苛刻。

Monday, 16 April 2012

Tiong Bahru

Tiong Bahru means "New Cemetery" (tiong - Chinese for cemetery, bahru - Malay for new). Until the 1920's it was an area dotted with many cemeteries. They were new as opposed to the established cemeteries in Chinatown. The present day Tiong Bahru Rd. was at onetime called " Burial Ground Rd". In 1925 this area was declared unsanitary and designated for improvement. The SIT (S'pore Improvement Trust) cleared out the squatters and moved the graves and then filled in and leveled the area.

Small neighborhoods with privacy between individual homes and open areas for recreation and playgrounds were the plans for the area. Affordable housing was built in 4-5 story units. These units were originally to be sold, but this idea failed and they then were rented out. However, the rent was too high (S$20.00) so only the rich could afford to live there. It was known as "mei ren wo" - the den of beauties. Supposedly this was a haven for mistresses.

By 1941, 6000 people lived in Tiong Bahru. After the war, housing was even more of a priority and Tiong Bahru was an obvious choice for expansion. By the 1950's 17,000 people were accommodated. This "island" of modern housing was surrounded by atap (thatched roof huts) slums which housed "gangsters and undesirable elements", Providentially there were 2 fires (1959 & 1961) which rendered 7,000 people homeless. In 1960, what is now known as the HDB succeeded the SIT and redeveloped the area.

The street names are mostly Chinese pioneers of the 19th and early 20th centuries (Lim Liak, Kim Pong, Guan Chuan, etc.). One of the early pioneers is memorialized in the name of the wet market - Seng Poh Road market. He was an opium and spirit farmer who was the first Chinese Municipal Commissioner. In the 1950's this market was the model for all future markets.

Today Tiong Bahru is renowned for it's Sunday morning bird singing (actually it goes on every day), it's small neighborhood feel, and the convenience of having everything within walking distance. Shop keepers and residents all know one another and look out for each other. Sadly, it appears that young people are not moving into the area and it becoming an elderly neighborhood. The new and the modern have more of an allure than the sturdy, less glamorous Tiong Bahru with all it's history.

Source: http://www.hps.com/~tpg/singapore/index.php?file=mary05

Saturday, 14 April 2012

租室一夫

有人說
沒甚麼想去的地方的話留下來不好嗎
有人說
愛你所做是選擇做你所愛要看運氣
過了近三年的選擇機會命運大富翁
我也想當「棄業家」!

隨便啦。

Friday, 13 April 2012

Yay.


... and i didnt even come close.

Anyway, nice series. Film-quality.

Wednesday, 4 April 2012

4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女 の子とすれ違う。

たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそらくもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

あるいはあなたには好みの女の子のタイプがあるかもしれない 。例えば足首の細い女の子がいいだとか、やはり目の大きい女の子 だなとか、絶対に指の綺麗な女の子だとか、よくわからないけれどゆっくり時間をかけて食事をする女の子にひかれるとか、そんな感じだ。僕にだってもちろんそんな好みはある。レストランで食事をしながら、隣りのテーブルに座った女の子の鼻の形に見とれたりす ることもある。

しかし100パーセントの女の子をタイプファイすることなんて誰にもできない。彼女の鼻がどんな格好をしていたかなんて、僕には絶対に思い出せない。いや、鼻があったのかどうかさえうまく思い出せない。僕が今思い出せるのは、彼女はたいして美人じゃなかったということだけである。なんだか不思議なものだ。

「昨日100パーセントの女の子と道ですれ違ったんだ」と僕は誰かに言う。

「ふうん」と彼は答える。「美人だったのかい?」

「いや、そんなわけじゃないんだ」

「じゃあ好みのタイプだったんだな」

「それが思い出せないんだ。目がどんな形をしていたかとか、 胸が大きいか小さいかとか、まるで何も覚えていないんだよ」

「変なものだな」

「変なものだよ」

「それで」と彼は退屈そうに言った。「何かしたのかい、声をかけるとか、あとをついていくとかさ」

「何もしない」と僕は言った。「ただすれ違っただけさ」

彼女は東から西へ、僕は西から東に向けて歩いていた。とても気持の良い四月の朝だ。たとえ一二十分でもいいから彼女と話をしてみたいと僕は思う。彼女の身の上を聞いてみたいし、僕の身の上を打ちあけてもみたい。そして何よりも、一九八一年の四月のある晴れた朝に、我々が原宿の裏通りですれ違うに至った運命の経緯のようなものを解き明 かしてみたいと思う。きっとそこには平和な時代の古い機械のような温かい秘密が充ちているに違いない。

我々はそんな話をしてからどこかで昼食をとり、ウディー.アレンの映画でも観て、ホテルのバーに寄ってカクテルか何かを飲む 。うまくいけば、そのあとで彼女と寝ることになるかもしれない。

可能性が僕の心のドアを叩く。

僕と彼女のあいだの距離はもう十五メートルばかりに近づいている。

さて、僕はいったいどんな風に彼女に話しかければいいのだろう?

「こんにちは。ほんの三十分でいいんだけれど僕と話をしてくれませんか?」

馬鹿げてる。まるで保険の勧誘みたいだ。

「すみません、このあたりに二十四時間営業のクリーニング屋 はありますか?」

これも馬鹿げてる。だいいち僕は洗濯物の袋さえ持ってはいないではないか。

あるいは正直に切り出した方がいいのかもしれない。

「こんにちは。あなたは僕にとって100パーセントの女の子なんですよ」

彼女はおそらくそんな科白を信じてはくれないだろう。それにもし信じてくれたとしても、彼女は僕と話なんかしたくないと思うかもしれない。あなたにとって私が100パーセントの女の子だとしても、私にとってあなたは100パーセントの男じゃないのよ、と彼女は言うかもしれない。そういう事態に陥ったとしたら、きっと僕はおそろしく混乱してしまうに違いない。僕はもう三十二で、結局のところ年を取るというのはそういうことなのだ。

花屋の店先で、僕は彼女とすれ違う。温かい小さな空気の塊りが僕の肌に触れる。アスファルトの舗道には水が撒かれていて、あ たりにはバラの花の匂いがする。僕は彼女に声をかけることもできない。彼女は白いセーターを着て、まだ切手の貼られていない白い 角封筒を右手に持っている。彼女は誰かに手紙を書いたのだ。彼女はひどく眠そうな目をしていたから、あるいは一晩かけてそれを書 き上げたのかもしれない。そしてその角封筒の中には彼女についての秘密の全てが収まっているのかもしれない。

何歩か歩いてから振り返った時、彼女の姿は既に人混みの中に消えていた。

もちろん今では、その時彼女に向ってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。しかし何にしてもあまりに長い科白だから、きっと上手くはしゃべれなかったに違いない。このように、僕が思いつくことはいつも実用的ではないのだ。

とにかくその科白は「昔々」で始まり、「悲しい話だと思いませんか」で終わる。

昔々、あるところに少年と少女がいた。少年は十八歳で、少女 は十六歳だった。たいしてハンサムな少年でもないし、たいして綺 麗な少女でもない。どこにでもいる孤独で平凡な少年と少女だ。で も彼らは、この世の中のどこかには100パーセント自分にぴったりの少女と少年がいるに違いないと固く信じている。

ある日二人は街角でばったりとめぐり会うことになる。

「驚いたな、僕はずっと君を捜していたんだよ。信じてくれないかもしれないけれど、君は僕にとって100パーセントの女の子なんだよ」と少年は少女に言う。

少女は少年に言う。「あなたこそ私にとって100パーセントの男の子なのよ。何から何まで私の想像していたとおり。まるで夢みたいだわ」

二人は公園のベンチに座り、いつまでも飽きることなく語りつづける。二人はもう孤独ではない。100パーセント相手を求め、100パーセント相手から求められるということは、なんて素晴らしいことなのだろう。

しかし二人の心をわずかな、ほんのわずかな疑念が横切る。こんなに簡単に夢が実現してしまって良いのだろうか、と。

会話がふと途切れた時、少年がこう言う。「ねえ、もう一度だけ試してみよう。もし僕たち二人が本当に100パーセントの恋人同士だったとしたら、いつか必ずどこかでまためぐり会えるに違いない。そしてこの次にめぐり会った時に、やはりお互いが100パーセントだったなら、そこですぐに結婚しよう。いいかい?」

「いいわ」と少女は言った。そして二人は別れた。しかし本当のことを言えば、試してみる必要なんて何もなかったのだ。彼らは正真正銘の100パーセントの恋人同士だったのだから。そしておきまりの運命の波が二人を翻弄することになる。

ある年の冬、二人はその年に流行った悪性のインフルエンザにかかり、何週間も生死の境をさまよった末に、昔の記憶をすっかり失くしてしまったのだ。彼らが目覚めた時、彼らの頭の中は少年時代のD・H・ロレンスの貯金箱のように空っぽだった。

しかし二人は賢明で我慢強い少年と少女であったから、努力に努力をかさね、再び新しい知識や感情を身につけ、立派に社会に復 帰することができた。彼らはちゃんと地下鉄を乗り換えたり、郵便局で速達を出したりできるようにもなった。そして75パーセントの恋愛や、85パーセントの恋愛を経験したりもした。

そのように少年は三十二歳になり、少女は三十歳になった。時は驚くべき速度で過ぎ去っていった。そして四月のある晴れた朝、少年はモーニング・サービスのコーヒーを飲むために原宿の裏通りを西から東へと向い、少女は速達用の切手を買うために同じ通りを東から西へと向う。二人は通りのまんなかですれ違う。失われた記憶の微かな光が二人の心を一瞬照らし出す。

彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なんだ。

彼は私にとっての100パーセントの男の子だわ。

しかし彼らの記憶の光は余りにも弱く、彼らのことばは十四年前ほど澄んではいない。二人はことばもなくすれ違い、そのまま人混みの中へと消えてしまう。

悲しい話だと思いませんか。

僕は彼女にそんな風に切り出してみるべきであったのだ。

-村上春樹

Monday, 26 March 2012

陸零陸貳

話説把今這個周末寫成日記的話 内容會拿十分滿分。草稿過後發現,其實只是在48小時裏很多小事都像計劃般順利實現了,所以很會覺得滿足+快樂+一點幸運的氛圍。

周六在麥叔叔家裏啃書途中,來了Hiragana Times的郵件。第一次訂閲的雜誌收到啦。可以在iPhone用app閲讀的日英雙語雜誌,還有mp3格式的語音文件。看了日語會進步神速みたいです。12期才6000円(一期大概SGD6.80)還可以永久保留,也太超值。

還順手報名了七月份的日語檢定考試,報名表格郵寄出去的時候非常離譜地期待考試的到來。和IOA的完全不同啊。

晚上拿著快要過期的電影券去看電影,先前還在猶豫是不是應該到遠一點的電影院看法文片,後來懶惰戰勝一切,回到離家只有10分鐘路程的中峇鲁廣場。隨便選了一齣西洋科幻火星片后,就兌換了戲票。入場后竟然乾等了半個小時,背景音樂還是很歡迎入場。后來因爲“嚴重技術問題”而取消播映了。身平第一次一個人跑去戲院看戯竟然不讓林北看?戲院過後安排退款(我明明沒有付款竟然還能退?)+ 附送贈票一張。而且沒有截止日期。哇噻 賺翻啦。

星期日清早,亂吃早餐后到HSA捐血去。因爲之前收到SMS說血庫快要不夠血,就連AB這種自私鬼血型也處於"low"的位置。一踏入登記處,好多人呐。問卷調查、驗血内鐵質然後就開始放血了。護士阿姨們很親切,貌似看到我是AB的很心花怒放(好像想快點做完AB的收集,然後可以早回?),還拿我的號碼牌開玩笑說,“今晚4D開什麽號碼?” “6062啊?”


一如往常,不到5分鐘我的血漿就滿滿一包了。

傍晚會有日語課,所以捐血后到順路的GWC去,看看有沒有想看的電影,還有晃去星巴克肯書,我真是勤勞。戲院沒有長長的隊伍,櫃檯也只開一個。向櫃檯小弟詢問了電影片長后決定看動畫片,遞出我的贈票,小弟掃描條碼后竟然把J19位置的戲票+贈票一起還給我。“可能掃描過後就不可以再用了吧...” 我乖乖滾到星巴克念書。

當然捧著的是綠茶熱那鉄,選了個有電插座的位置,嘩啦嘩啦開始鑽研令人覺得像吃大便的CT8:Black Scholes, Ito's Lemma, Wilkie Model, EMH, EMM, CAPM, self-financing portfolio, credit risk modelling.

2點50分,我準時入場。哇也這場戯也太多紅毛小鬼來看了吧。要不是看到超本土的廣告,我還忘了自己身在獅子島。電影開始前,有個人走到我的位子旁,準備要把腳擡起讓位的我卻聽到那個人恭敬的說:“之前您買票的時候用的free pass, 可以不可以交還給我?” 啊 櫃檯小弟。說什麽你不需要了,我們要做記錄什麽的。好吧 反正我也沒有想過要重復使用,“給。” “謝謝!”

這輩子第一次電影取消播映,第一次戲院退錯票,還跑到座位來找。這兩天和戲院工作人員的交流太戲劇化了。


話説 The Lorax 很好看啊啊啊。細節的部分很照顧。搞笑的部分也不冷。

Sunday, 4 March 2012

最近のボク

從日曆來看,今年差不多排滿了。因爲人生沒有偉大的目標,就瑣碎的安排年中間多個小目標去達成。接下來會是讀書-加班-趕工-考試-旅遊-策劃-旅遊-日語檢定-旅遊-讀書-考試-背包客。有閑錢的話會有音樂。再閑一點的話會有畫畫。有膽一點的話會有游泳。(驚!攝影呢?)

和朋友聊到 生活沒有(偉大)理想什麽的。我想說自己很不爭氣安排了小理想,然後很阿Q地覺得小+小+小就是大了。赫赫。

發現(也不是什麽發現)自己的性格很容器化。在什麽環境就什麽性格。不完全是融合周遭人們的性格,而是自己覺得舒服的?現階段的自己,很“沒性格”,如果我可以這麽說。OK man大概就是醬。沒什麽不好,就好像少了點什麽。

臉書一些東西看了很“我接受不到咯”。我接受不到咯。我還是接收不到咯。

現在的資訊大爆炸時代,每天不停來的新訊息,沖啊沖啊,太久沒有停下來去思考。抑或是沒有時間讓你去思考。只能膚淺地停頓、看看、過濾、分享、轉發。

讓我想一想。


向左看

Monday, 27 February 2012

聊聊Lynas稀土厰風波

這次的綠色聚會2.0閙得沸沸揚揚,好不熱鬧。小弟我也共襄盛舉,在FB上傳了、like了、share了照片。(說實在,一開始真的只想湊熱鬧。拍拍照,沒什麽難的嘛)

故事新聞背景簡單來説就是:澳洲公司Lynas要在馬來西亞建立並運作全世界最大稀土提煉厰,拿到了營業准証,12年免稅,然而處理過程會產生放射性物質。處理方式是運到所謂人煙稀少的地方,土埋。官方説法:馬來西亞淡水多、人力資源足夠,是提煉稀土的適合地方。對國家也帶來投資利益。國家有關機構也在批准營運准証是附加了嚴厲的條件,確保人民健康不會受到影響。

可是,誰可以保證Lynas的作業會是100%安全?誰又可以保障人民的健康?廢料處理時不會有任何洩漏?沒有100%肯定,你怎麽可以拿人民的健康做賭注?有這麽好康的投資,爲什麽澳洲人民會拒絕Lynas稀土厰,Lynas再跑到四千公里外的大馬設厰?龐大的運輸費,就因爲馬來西亞地靈人傑?屁!別人不要的東西拿來當寳,還搞到大家要花時間遊行反對。你以爲我們吃飽沒事做啊。


有人說,這次的反對遊行有政治議程,在野黨借機打擊政府。

有人說,網民道聽途説,其實稀土厰輻射比電腦電話飛機還低。
有人說,反對的人是爲了反對而反對,他們根本不了解實情!
有人說,要相信專家,經過科學鑑定,稀土提煉厰是安全的。
有人說,FB放綠色照片沒鬼用,網上寫寫誰理你誰管你啊。

我說,比賽中你犯錯,敵對陣營不踩多兩腳那才叫奇怪。
我說,您就不是從所謂的“專家”口中聼來,而是自己測量、研究的?
我說,反對的人是爲了下一代、不想拿生命當賭注而反對!
我說,您自己就有搜集資料查證,完完全全了解稀土厰?
我說,FB上面政府不會看,Lynas看不到;但是朋友會知道,人民會了解!

最終稀土厰是否會被關閉,我不知道。但是希望經過這次的風波,大家會對國家大事更爲關心、用更成熟的心態去面對,不要成爲所謂爲了反而反的蠢蛋,更不要成爲爲了支持而支持的笨蛋。自己去了解事情的來龍去脈,再決定要支持、反對,還是無視。


投票也是一樣。

What an irony when we used iPhones to spread the news about the Himpunan Hijau 2.0's rally and what we tried to oppose is rare earth metal refinery, which produces vital materials for high-tech manufacturing, including that of iPhones. :P

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